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個人的な意見

僕の小説の師匠が「宮崎駿氏のiPadへの反応」に賛同していたので、それに対する意見を書いてみました。

別に僕は宮崎氏が嫌いではなく、逆に尊敬しております。
氏は偉大な表現者であり、カリオストロの城はアニメ映画の最高峰だと思っております。
なにしろまだデッキもないころ一番最初に買ったブルーレイソフトがそれなほどですから。
その上での発言です。

宮崎氏はiPadに露骨な嫌悪を表しました。それに師匠は共感しております。

曰く
>抵抗する者、とくに第一線で活躍している熟練者たちは、自分の作業の手順が効率性や利便性の名目で別のものに置き換わることで、「なにか大事なものが損なわれる」ことを知っているのだ。

なるほど一理あります。

では宮崎氏や師匠には5千年くらいさかのぼって、粘土とヘラしかない時代に生まれてもらいましょう。
お二方は表現者となり得たでしょうか?
そして現在においてお二方は、粘土とへらで、でしか伝えられないなにかを伝えているでしょうか?

宮崎氏は「紙と鉛筆」の時代の表現者ですね。
そして僕は「ディスプレーとキーボード」の時代の表現者です。
もし紙と鉛筆しかなかったら、僕は表現者として収入を得られるようにはならなかったでしょう。
なぜならパソコン通信を通じて師匠に教えを受けなかったら、物語を完成できるようにならなかったからです。

紙と鉛筆で、でしか表現できないものがあります。
しかしディスプレーとキーボードで、でしか表現できないものもあるのです。
さらにタッチパッドと指で、でしか表現できないものもできるでしょう。
師匠も認めるように。
>それに、IT化でしか実現できなかったようなことがあることも確かだ。

別にiPadが広まったところで、宮崎氏が自分のスタイルを変える必要はないのです。
紙と鉛筆で、でしか表現できないものがあるなら、それを後進に伝えればよいのです。
今でも粘土とヘラで表現している人がいるように。
もし技術が廃れてしまうなら、それを伝えようと努力しなかった者の怠慢でしょう。江戸時代の錦絵の技術のように。
宮崎氏にはiPadを批判するのではなく、紙と鉛筆で、でしか伝えられない「なにか」を残すことを努力するべきかと思います。

>効率化によって得られるもの、失われるもの、その両方を正しく見据えておくことが、当面の私たちにはできることだろうし、そういう視野を持ちつづけたいと思う。

失われるものについては、私たちが考えることではないと思います。残したい「なにか」を持っている当事者の問題ですから。
そしてワープロやiPadの登場は効率化ではなく、新たな表現方法の増加であります。
表現方法が増えることは選択肢が増えることです。
今までの方法では表現できなかった人が、表現できるようになります。
新しい技術、全面的にウェルカムであります。

余記:宮崎氏が露骨に嫌ってくれた影響で、僕はiPadを買う気になりました。

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